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北條時宗の頃、益田兼時と 田根兼政

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北條時宗(1251年~1284年)ーWikipedia
鎌倉時代中期の武将・政治家。鎌倉幕府第8代執権。
鎌倉幕府執権職を世襲する北条氏の嫡流得宗家に生まれ、世界帝国であったモンゴル帝国(大元朝)の日本に対する圧力が高まるなかで執権に就任。内政にあっては得宗権力の強化を図る一方、モンゴル帝国(大元朝)の2度にわたる侵攻を退け(元寇)、後世には日本の国難を救った英雄とも評される。官位は、正五位下相模守。贈従一位。


・・・・・

1280(弘安3)年、石見地方では蒙古襲来に備えて、益田兼時(6代当主)は多根兼政に命じて益田川を改修しました。また石見海岸に十八砦を築きました。蒙古襲来に備えて、益田は鎌倉時代のこの頃、七尾城を築きました。

田根兼政の3Dです。
兼政1.JPG


蒙古襲来と七尾城の二重濠(想像図)
http://gengoshori.blog7.fc2.com/blog-entry-602.html

鎌倉武士のシルエット。
鎌倉武士

田根兼政は蒙古襲来(1274、1281年)のころの武将です。兼政の河川開鑿事業と七尾城の二重濠(想像図)の3Dです。 田根兼政の顕彰碑は東光寺の背後にあります。

七尾城の濠は本来、自然の益田川をそのまま利用したものである。しかし弘安年間、益田兼時の支族である 田根兼政は、益田兼時の命により、椎山山麓の岩盤を掘り崩してこれを三宅に通じ、さらに西流させて津村に流し、再び益田川に合流させたものである。兼政のこの河川開鑿事業は、吉田平原部における灌漑の至便を計るのに起因したのはもちろんであるが、その原因は、二重の城濠として、弘安役後の元軍に備えたものである。「益田市誌上巻」


現在の益田川
現在の益田川

弘安の役(1281年)以前の益田川
弘安以前の益田川


七尾城の二重濠の想像図です。
七尾城の二重濠(想像図)

・・・・・・
蒙古襲来の防備_川をせき止め濠を築く大土木工事
http://gengoshori.blog7.fc2.com/blog-entry-578.html

現在の益田川です。現在の川の経路は弘安の役以前とは異なっています。
益田川s

蒙古襲来・弘安の役以前は、七尾城のある七尾山の麓から妙義寺の前を通って流れていましたが、 蒙古襲来に備えるため、益田川の流れを変えて七尾城の濠にしました。
七尾城地勢図2
【益田市誌上巻より】

元の川は堰き止めて濠にする。新しい川を掘って新田を開発する。
鎌倉時代にそんな大土木工事をする有能な武将が我が町に存在したんですね!!!。

田根兼政公_廟所
この武将の名は田根兼政。兼政の顕彰碑と墓が東光寺の裏にありました。

大喜庵正面_屋根雪
東光寺は鎌倉時代に田根兼政によって創建されました。室町時代に画僧・雪舟が医光寺や万福寺の庭を築きましたが、雪舟の終焉の地がこの東光寺です。


・・・・・


広く浅く、時代感覚をつける。地質時代~平成まで
http://gengoshori.blog7.fc2.com/blog-entry-626.html

時代感覚を磨きます。市内の名所、史跡、事柄を時代順に並べました。

新生代、古第三紀漸新世、今から3390万年前
唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)

旧石器時代(~紀元前1万4千年前)
新槙原遺跡(しんまきはらいせき)
2万年前の遺跡(匹見に旧石器人が住んでいた)

縄文時代(紀元前1万4千年頃~紀元前300年頃)
沖手遺跡、丸木舟
縄文時代晩期の遺跡

弥生時代(紀元前300年頃~250年頃)
浜寄・地方(はまより・じかた)遺跡、弥生時代の水田跡
沖手遺跡、弥生時代の水路

古墳時代(250年頃~600年頃)
小丸山古墳、前方後円墳

飛鳥時代(592年~710年)
柿本人麻呂(660年頃~720年頃)、飛鳥時代の歌人

奈良時代(710年~794年)
768(神護景雲2)年、額田部蘇提売、貧民救済で賞される

平安時代(794年~1192年)
万寿3年大津波(1026年)

鎌倉時代(1192年~1333年)
文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)
田根兼政、石見海岸の防衛、新田開発

建武の新政(1333年~1336年)

南北朝(1336年~1392年)
益田兼見、万福寺を中須より移設

室町時代(1392年~1573年)
嘉吉の乱(1441年)
大寧寺の変(1551年)大内義隆が陶晴賢に討たれる


安土桃山時代(1573年~1603年)
1592年、文禄の役
1597年、慶長の役


江戸時代(1603年~1868年)
1707(宝永4)年、長嶺嘉左衛門(ながみねかざえもん)の蟠竜湖疎水

幕末(1853年~1868年)
幕長戦争、1866(慶応2)年、石州口の戦い
大村益次郎、桂太郎

明治(1868年~1912年)
1904(明治37)年~1905年日露戦争
桂太郎内閣
飯浦、鈩砲台

大正(1912年~1926年)
1923(大正12)年、山陰線、石見益田駅で開通式


昭和(1926年~1989年)
1983(昭和58)年、市歴史民俗資料館開設

平成(1989年~ )
1995(平成7)年、鴨島海底学術調査



・・・・・・・・・・
続きます
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