英語対訳で読む日本の歴史 (じっぴコンパクト) (2008/08/29) 中西 康裕、 他 商品詳細を見る |
三宅御土居跡(国指定文化財)
益田氏の政庁、居館跡。益田家第11代兼見により南北朝期築造されたと伝えられ、戦国時代末期、20代元祥が大改修をした。市教委による発掘調査の結果、館の東が北に突出した長靴形で、規模は最大で東西190m、南北110m、周囲に堀をめぐらし、東西に高さ5mの土塁を築いた堂々たるものであったことが確認された。12C~16Cにかけて掘立柱建物が繰り返し建て替えられており、木組みや石組みの井戸跡、鍛冶場跡などが見つかった。山城七尾城跡とともに益田氏城館跡として平成16年国指定史跡となった。
七尾城跡
益田氏が本拠にした城。平野に面した七尾山全体に築かれ、本丸跡の標高は約118m。全長600m以上の大規模な山城で、石垣はなかった。
南北朝時代(1331-92)にはすでに築かれ、南朝方の三隅氏が北尾崎之木戸に攻め寄せた記録が益田家文書に残っている。
医光寺
医光寺は臨済宗東福寺派で応安元年の創建と伝えられる。もと崇観寺の塔頭として建てられたが、その後崇観寺は荒廃し益田家第17代宗兼が医光寺を改築した。室町時代雪舟は当寺に滞在し、庭園を築いたと伝えられる。
万福寺
現在の本堂は応安7年(1374)、もと同市中須にあった安福寺を益田家第11代兼見(かねはる)が時宗に改宗し現在地に移転改築したもの。
益田民族資料館
益田市立歴史民俗資料館は大正10年に建てられた美濃郡役所を改装して昭和58年5月に開館。美濃郡役所は、江戸時代に浜田藩の代官所が在った場所に建てられた。
Author:パチンコ賭博追放運動
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