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史跡も含めた市内の観光地が、英文で紹介してあります。郷土の歴史を英語に翻訳することは、子供の教育や人材育成におおいに役に立つと思います。
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・・・・・
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春日族ゆかりの場所
天石勝神社(あめのいわかつじんじゃ)、櫛代賀姫神社(くしろかひめじんじゃ)、戸田柿本神社(とたかきのもとじんじゃ)。

春日族の名前は、奈良県東部春日山に由来する。
【益田市誌上巻】270~271ページ
春日族の発祥
石見に植民した諸氏族の中で、その主な配置を見ると、石見東部に出雲族・物部族・尾張族、石見中部に忌部(いんべ)族・春日族・紀氏族、石見西部に春日族・小野族・櫛代(くしろ)族の諸侯が考えられる。春日族は小野族・櫛代両族の祖に当たり、その始祖は孝昭天皇の皇子天足彦国押人(あめのたらしひこくにおしひこ)命とされている。そしてその子孫は、大和添上郡の西部、和迩の地に繁殖し春日地方に発展した。
・・・

春日族の石見移住
石見に進展した春日族は、ついに現在の益田市春日の地に留まった。染羽の地と並んで春日の地名が、移民した彼らの族名を今日まで遺しているわけである。そして秋葉山の北麓に残る31基の横穴式古墳群は、春日族が最も繁栄した当時の址を示すもので、その発展期は古墳の形式から見て、大化の改新以後の7、8世紀のものらしい。横穴式古墳内からは多数の須恵器を発掘した。
春日族は地方へ移住する時、同族が一地域に密集し、協力して地方の開発に従事した。たとえ同族間の距離が遠く隔たっていても、その間の連絡関係を絶つことはなく、相互扶助の精神で親睦を密にすると共に、彼らが移住した開拓地に、必ず磐境(いわさか)や神社を建ててその始祖を祀った。


723年、三世一身法
743年、墾田永年私財法

春日山をパピノ日本史辞典で見てみる。
パピノ日本史辞典.jpg

Kasugayama
A hill east of Nara, upon which Fujiwara Fuhito erected a temple to his ancestor in 710: It is the Kasugayama jinja, one of the most ancient and most venerated in Japan.

春日山
奈良東部の山、その上に藤原不比等が710年に祖を祀る神殿を建てた。それは、春日山神社(春日大社)で、日本で最も古く、最も崇拝されている神社のひとつ。

・・・・・
そのころ、奈良・春日山の麓から、春日族とその支族の櫛代族・小野族は石見西部に移住して開拓にあたった。
春日族・櫛代族・小野族.jpg

春日族は天石勝神社(725年)、櫛代族は櫛代賀姫神社(737年)を建てた。
益田市歴史年表



・・・・・・・・・・
続きます
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