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稲作は朝鮮ではなく九州から伝わった

稲作は朝鮮ではなく九州から伝わった
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『古代朝鮮と日本文化 ~ 神々のふるさと』
著者 金達寿 1986年 講談社学術文庫

この本の「神社・神道の起源」から、書き出した文です。


12ページ
稲作農耕と青銅器・鉄器とを伴った北方の弥生文化が渡来してかさなった

34ページ
天日槍=新羅系渡来人集団の象徴
この天日槍というのは、『古事記』や『日本書紀』などには新羅の王子ということになっているけれども、これはそういうひとりの王子ではないのです。

「おそらく矛や剣で神を祭る宗教、または矛や剣を神とする宗教をほうずる集団が、朝鮮とくに新羅から渡来したことが、この伝説のもととなっていると思われる。

37ページ
天日槍というのは、日本に弥生文化、すなわち鉄器をともなう水稲文化をもたらしたものとして非常に重要な存在になっておりますが、同時にこれがまた神社・神宮をもたらしたものでもあります。

・・・・・
「稲作と鉄器をともなった弥生文化」ということが何度も繰り返し出て来ます。「朝鮮の新羅から矛や剣を祭る宗教の集団がやってきて縄文人を征服した」のでしょうか?
それはなかなか納得できません。
よく朝鮮から稲作が伝わってきたといいますが、益田市の場合、朝鮮からではなく九州から伝わってきています。朝鮮から伝わったというのと、九州から伝わったというのでは大違いです。

弥生時代以前、縄文時代晩期から稲作は始まっている。
縄文晩期の水田遺跡
福岡市博多区の板付遺跡、佐賀県唐津市の菜畑遺跡

益田市匹見町は縄文遺跡の宝庫です。
イセ_縄文遺跡1
右上のイセ遺跡からは縄文式土器が発見されているので縄文時代の遺跡です。

原始の益田を歩いてみよう_表

この表ではイセ遺跡は弥生時代初期の遺跡になっています。
「イセ遺跡の中心は縄文時代の配石墓であるが、その上層は弥生時代と古墳時代の集落跡があった。」匹見町史遺跡編82ページ
ということです。

縄文時代の遺跡、弥生時代と古墳時代の集落跡が同じ場所にあるということは、征服ではないとするのが自然だと思います。


(続きます)

・・・・・・・・・・
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