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ペンタブレットで手書き

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ペンタブレットで手書きをしてみた。最近、「益田家文書」を読んでいるが、行政についてタブレットで書いてみた。
メモ書き1

これから引用する「益田家文書の語る中世の益田(一)」は1994年、今から18年前に出版された。「はしがきは」の引用文の最後の方の
「ところで、問題は、これほど重要な価値を持つ中世益田家文書が、学会や専門研究者の間では早くから広く知られているにも関わらず、肝心の地元益田市ではほとんど知られてこなかった」
という記述はいまから18年前の指摘である。その指摘は18年経過した現在でも同様である。「益田家文書の語る中世の益田(一)~(三)」は益田市教育委員会の編集発行であり、図書館で販売している。にもかかわらず、市民が知らない、市の職員も知らないとは、いったいどういうことか。自分が知る範囲だが、これがパチンコが蔓延している町の実態なのだ。

益田家文書(一)のはしがきより
<途中から>
 これに対し、南北朝期から室町・戦国期にかけての益田氏及び益田地域の歴史については、後ほど改めて述べるように、全国でも他に例を見ないほど多数の益田家文書が残されたことにより、かなり具体的な形でその跡を辿ることができる。
そしてそれは、先述したここに至る歴史過程を含めてたいへん興味深く、それ故にまた益田地域の持つ歴史的な個性(全国の中で益田地域が占める独自の位置とアイデンティティー)を現在の私たちに確認させる、重要な場ともなっている。

<中略>

   二、中世益田家文書とその特徴 
益田家文書とは、中世益田氏の子孫にあたる益田家(当主は現在東京在住)に残された文書のことである。
益田氏は、須佐に移住した後も、近世の全時期を通じて毛利家の永代家老という重職を占め、かつ戦災などに遭わなかったこともあって、一万点を越える膨大な文書、及び多数の美術工芸品を現在に伝えることとなった。

<中略>

 中世益田家文書は、中世史を研究する者ならば誰一人としてこれを知らぬ者もないほど、全国でもよく知られた有名なものである。
それは、次のような優れた内容と価値とを兼ね備えているからである。
 そのまず第一は文書の量の膨大さ、すなわち一つの家に残された中世文書の量としで、全国的にみてもトップクラスに位置していることである。
とくに、寺社や公家などと区別される武家所蔵文書としては、全国でも10本の指の中に入り、守護や戦国大名ではない一般の武家(国人クラスの武家)文書という点からいえば、紛れもなく全国一である。
また、中世武家文書の中で、西国生え抜きの武家(毛利・古川氏あるいは島津氏などのように、鎌倉期以後に新しく関東・東国から移ってきた、いわゆる「西遷御家人」ではない武家)所蔵の文書という点でも、これまた全国一の量を誇っている。
さらに、島根・山陰地域についていえば、出雲大社・千家家・北島家・神魂神社(秋上家)・日御碕神社・小野家・鰐淵寺など、多数の中世文書を所蔵する寺社でも、せいぜい各300~500点であって、これに倍する飛び抜けた量を誇っている。
石見地域関係の文書の中で最大の量を誇るのはいうまでもない。
 第二に、量的な間題以上に重要なのは、その優れた内容と質とである。
これについでは、多様な側面からの評価が可能であるが、さしあたり次のような点を指摘することができよう。
<中略>

 最後に、第三点としてとりわけ重要なのは、この中世益田家文書の舞台となった益田地域に多数の中世益田氏関係遺跡が残され、しかもその保存状態が全体としてきわめて優れていること、遺跡と文書とがセットをなして残されていることである。全国的にみても、中世遺跡や中世文書が先人達の必死の努力によって残されてきた事例は多い。
 
しかし、近年の無計画な都市再開発などによって遺跡が相次いで破壊されるケースは急激に増えてきており、これほど集中して中世遺跡が残され、しかもそれら全体が中世的景観を維持している事例はきわめて少なくなりつつある。加えて、益田の場合、例えば津和野や萩・山口、あるいは浜田・松江などのように、近世になって城下町への再編成が行われなかったこともあって、中世的な景観が基本的には現在まで残されてきたという好条件にも恵まれている。

全国を見渡しても、領主の館と城及び中世城下町・船着場などがセットを成して現在まで残されている事例は、まったくその例がないといって言ってよく、しかもこれらの遺跡が先述のような優れた価値を持つ文書とセットをなしているケースは、この益田以外にはないといって過言でない。そして、中世益田家文書に関して言えば、これらの中世遺跡が残されていることによって、文書それ自体の特つ価値もさらに高いものとなっている。

文書によって復元された歴史像が、遺跡を通してさらに具体的なイメージにまで高めることができ、また逆に文書の理解がこれらの遺跡に媒介されて更に具体的で、より深い歴史認識へと導くことを可能としているからである。
全国の歴史研究者・学会が総力を挙げて益田市三宅御上居跡の保存を要望し、その行方を固唾を飲んで見守っているのは、こうした認識を共通のものとしているからに他ならない。

 ところで、問題は、これほど重要な価値を持つ中世益田家文書が、学会や専門研究者の間では早くから広く知られているにも関わらず、肝心の地元益田市ではほとんど知られてこなかった、いったいそれは何故なのかということである。
これにはいくつかの理由を考えることができるが、中でもとくに重要なのは次の点であろう。

 まず第一の最も重要な問題は、これまで中世益田家文書の全体が活字化され、広く一般市民が自由にこれを利用できるという形になってこなかったことである。


・・・・・・・・・・
続きます
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