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よく解る『外務省:竹島問題10のポイント』

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島根県では、竹島の歴史を学ぶ教材「竹島学習リーフレット(竹島~日本の領土であることを学ぶ~)」を県内全中学校に配布して授業を行っている。

島根県 竹島のリーフレット 県内中学生に配布
2012.10.20 09:00
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121020/edc12102009020001-n1.htm

中学生は、「竹島学習リーフレット」やDVDなど解りやすい教材で「竹島は、歴史的にも国際法上も日本の領土である」ということを習っている。

学校で竹島をならわなかった世代はどうなるの?というと
外務省から『竹島問題を理解するための10のポイント』が出ている。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/pdfs/pmp_10issues.pdf
竹島問題ポイント10

目次
■竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
□ポイント1:『日本は古くから竹島の存在を認識していました。』
□ポイント3:『日本は、鬱陵島(うつりょうとう) に渡る船がかり及び漁採地(ぎょさいち)として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。』
□ポイント4:『日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした。』
□ポイント6:『日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました。』
□ポイント7:『サンフランシスコ平和条約起草過程で、韓国は、日本が放棄すべき領土に竹島を含めるよう要請しましたが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否しました。』
□ポイント8:『竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、日本の領土として扱われていたことは明らかです。』
■『韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立する以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。
□ポイント2:『韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。』
□ポイント5:『韓国が自国の主張の根拠として用いている安龍福(アン・ヨンボク)の供述には、多くの疑問点があります。』
■ポイント9:『韓国は竹島を不法占拠しており、我が国としては厳重に抗議をしています。』
■ポイント10:『日本は竹島の領有権に関する問題を国際司法裁判所に付託することを提案していますが、韓国がこれを拒否しています。』

・・・・・・

ポイント1~2

[ポイント1]日本は古くから竹島の存在を認識していました。 
現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました。竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できます。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水(ながくぼせきすい)の「改正日本輿地路程全図(かいせいよちろていぜんず)」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。

「改正日本輿地路程全図」(1846年)(写真提供:明治大学図書館)

[ポイント2]韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。

韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世宗実録地理誌(せそうじつろくちりし)』(1454年)や『新増東国輿地勝覧(しんぞうとうごくよちしょうらん)』(1531年)、『東国(とうごく)文献備考』(1770年)、『萬機要覧(ばんきようらん)』(1808年)、『増補文献備考(ぞうほぶんけんびこう)』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島であると主張しています。


しかし、『三国史記』には、于山国であった鬱陵島が512年に新羅に帰属したとの記述はありますが、「于山島」に関する記述はありません。また、朝鮮の他の古文献中にある「于山島」の記述には、その島には多数の人々が住み、大きな竹を産する等、竹島の実状に見合わないものがあり、むしろ、鬱陵島を想起させるものとなっています。


また、韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引用された『輿地志(よちし)』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(現在の竹島)である」と主張しています。これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山島と鬱陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もあります。その研究は、『東国文献備考』等の記述は安龍福の信憑性(しんぴょうせい)の低い供述(5.参照)を無批判に取り入れた別の文献(『彊界考(きょうかいこう)』(『彊界誌』)、1756年)を底本にしていると指摘しています。


なお、『新増東国輿地勝覧』に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されています。もし、韓国側が主張するように「于山島」が竹島を示すのであれば、この島は、鬱陵島の東方に、鬱陵島よりもはるかに小さな島として描かれるはずです。しかし、この地図における「于山島」は、鬱陵島とほぼ同じ大きさで描かれ、さらには朝鮮半島と鬱陵島の間(鬱陵島の西側)に位置している等、全く実在しない島であることがわかります。



八道総図
『新増東国輿地勝覧(しんぞうとうごくよちしょうらん)…八道総図』(1531年)
・・・・・・・・・

ポイント1:『日本は古くから竹島の存在を認識していました。』
掲載資料「改正日本輿地路程全図(かいせいよちろていぜんず)」(1779年初版)

江戸時代から日本は竹島の存在を認識していた。
竹島の地図が存在している。
ただし、江戸時代には竹島を松島と呼んでいた。
日本政府が、竹島を島根県に編入、松島を竹島と命名したのは1905(明治38)年。
島根県知事の告示。桂太郎内閣。

「1779年初版」の1779年は江戸時代で元号は安永、将軍_徳川家治。
「1846年」も江戸時代で元号は弘化、将軍_徳川家慶。


・・・・・

ロジック
●竹島の存在を認識していないならば、竹島の地図はない。
言い換え
●竹島の地図があるならば、「日本は古くから竹島の存在を認識していた」


・・・・・・・・・・
続きます
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