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支那は日清戦争前の日本より遅れている

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★日中経済―「一衣帯水」だからこそ

「一衣帯水」の相互依存を示すように、日本と中国の経済がともに減速している。
欧州危機に端を発する世界的な貿易縮小の玉突きが原因だ。欧州を最大の輸出先とする中国は、成長率が8%を割った。
日本の対中輸出もこの夏から減少が鮮明となり、国内景気は踊り場に入った。両国の減速は世界経済にも逆風だ。
中国の日系企業は2万2千社を超す。ユーロ危機や人件費の上昇で欧米勢が対中投資を減らすなか、日本は中国への積極的な投資を続けてきた。
これが中国経済の鈍化を和らげ、ひいては日本の成長にも寄与する。そんな期待がかかる矢先の尖閣問題だった。
国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事が「隣国同士の共存には寛容さが必要」と苦言を呈するのもわかる。
デモでの破壊行為や不買運動が、日本企業に「中国リスク」を痛感させたのは間違いない。
そもそも中国経済は歴史的な転換点にある。投資と輸出への依存から内需中心へ、製造業からサービス業へ、沿岸から内陸へ。課題は山積している。
新しい指導部への移行をはさんで、果たして順調な成長軌道に戻れるのか――。
世界の企業が中国の成長への期待とリスクを再評価し、グローバル戦略を見直すのは自然な流れだ。
生産拠点を中国以外の国にも置く「チャイナ+1」志向も加速するだろう。
目を中長期に転じれば、中国は一人っ子政策の影響で「人口オーナス(重荷)社会」へと移行していく。
中国では「未富先老」(豊かになる前に高齢化する)といわれる。
この変動がバブルの崩壊や金融危機、政府債務の膨張による停滞へと連鎖する可能性もある。(>>2-3へ続く)
asahi.com 2012年10月7日(日)付
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2

・・・・・・・
一衣帯水の意味
一筋の帯のように、細く長い川や海峡。転じて、両者の間に一筋の細い川ほどの狭い隔たりがあるだけで、きわめて近接しているたとえ。


朝日新聞が日本と支那が「一衣帯水」の依存関係などいうと、一緒にするな、冗談ではないという気がする。最近読んでいる本で、支那は日本文明圏にはいったと述べている本がある。「日清戦争の敗北とともに、中国は2千百年をこす伝統システムを完全に放棄して、日本型の近代化にのりかえた。」と言う説だ。

支那が日本型の近代化路線にのりかえたのなら、しなければならないことがある。
日本の国会にあたる、全国人民代表大会の議員の選挙だ。
日本は日清戦争以前に衆議員選挙を行っている。支那は日清戦争前の日本より遅れている。

1889年(明治22年) 大日本帝国憲法
1890年(明治23年) 第一回衆議員選挙
1894年(明治27年) 日清戦争
1895年(明治28年) 下関条約、八幡製鉄所

・・・・・

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(2012/02/24)
岡田英弘

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日清戦争おこる(p.256~p.257)
●中国の歴史を終わらせたのは「東夷」の日本だった。
阿片戦争を「英夷(えいい、イギリス)」による南方の局地的な脅威に過ぎないと、さほど深刻に考えなかった清朝に対して、日本は危機感を持って受け止めた。
 とくにロシアの南下をおそれた日本は、明治維新後、それをふうじるために朝鮮の独立と近代化を強く求めていた。いっぽう清朝では、清仏戦争でヴェトナムの宗主権をフランスに奪われて面子をつぶされ、それまで台湾と同様、関心のなかった朝鮮を領土にしようとした。そうして、朝鮮で東学党の乱がおこって日清両国が朝鮮半島に軍隊を送りこんだのをきっかけに、ついに日本とぶつかり、1894年、日清戦争がおこった。
清としては「朝鮮半島から東夷を追い出せ」くらいの気持であった。日清戦争も、政権をめぐって対立していた西太后と光緒帝の主導権争いの一つにすぎなかった。いっぽう、日本にとっては開国以来はじめての大国との戦争であり、朝鮮が独立できなければロシアが朝鮮半島に進出してくることは目に見えていたので、国の存亡をかけた必死の戦いであった。
 日本は国民軍であったが、清朝側は李鴻章の私兵にすぎなかった。清の艦隊といえば洋務運動をすすめていた李鴻章の北洋艦隊だけであり、朝鮮半島は李鴻章の勢力範囲だったから、清朝は李鴻章にすべてをまかせるしかなく、内陸や南の軍閥は全く関知しなかった。この日本と清の違いが勝敗をわけた。黄海海戦で北洋艦隊は日本の連合艦隊に大敗した。
 日清戦争の敗戦は、清朝に深刻な衝撃をあたえた。わずか30年前に西洋式のシステムを採用したばかりの日本が、当時、清では最新の西洋式軍備をととのえていた李鴻章の北洋軍を壊滅させたのである。これは中国の伝統的システムがもはや通用しない時代になったことを劇的に証明する事件であった。中国の栄光ある孤立の時代は終わった。
・・・

清は翌1895年、下関条約(馬関条約)をむすび、朝鮮の独立、遼東半島・台湾・澎湖島割譲、賠償金2億両(テール)の支払いを認めた。ところが、遼東半島割譲にロシアが反発し、ドイツ・フランスとともにその返還を要求して(三国干渉)、日本はこれに屈した。そしてその遼東半島は結局、ロシアにとられてしまう。この三国干渉が、列強による中国の半植民地化のはじまりである。すなわち中国の近代化のきっかけはアヘン戦争ではなく、日清戦争であった。

紀元前221年の秦の始皇帝による統一が中国の歴史の出発点であり、それ以前は中国以前の時代であったのとおなじようにように、中国以後の時代というものもある。この日清戦争がそのわかれめとなった。中国人にとって歴史が中国の範囲にだけかぎられた現象ではなくなり、国境を越えた外の出来事に左右されるようになった。こうして「中国」の歴史は終わったのである




・・・・・・・・・・
続きます
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