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ベトナム戦争における韓国軍の残虐行為

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在日韓国人から提出された要望書の引用です。

益田町史・益田市史・益田市誌に関する要望書
益田事件に関する上記三史誌のいずれも、事実関係での誤りや差別と偏見に満ちた記述が多く全面的な見直しを求める。
一、三史誌いずれのタイトルも差別と誤解を招く表現であり訂正すること。
一、史誌としての客観性、公正さにかけ在日朝鮮人への一方的偏見を助長する内容であり容認できない。
特に益田市発行の益田市誌においては、事件の発端となった発砲を伴う令状なしの違法捜査について全く触れてないばかりか、事件そのものを改竄したため、日時、人数などで間違いも多く、全く信用出来ない。
重大な問題であるので、すみやかに是正するとともに、なぜこのような粗放な記述になったのか究明して頂きたい。
さらに、同誌では放火説など全く根拠のないデマを敢えて記載し誤った朝鮮人観をうえつける結果となり、この項は削除すること。
・・・
当時の朝鮮人は『なんてひどいことをしたんだろう』という印象を与える記述になっている。

・・・・・・
引用文には「誤った朝鮮人観をうえつける結果となり、この項は削除すること。」や「当時の朝鮮人は『なんてひどいことをしたんだろう』という印象を与える記述になっている。」とあります。「朝鮮人観」などとたいそうなことをいうつもりはありませんが、ベトナム戦争の時の韓国軍は本当に『なんてひどいことをしたんだろう』、日本人には想像もできない残虐行為だった。

韓国軍腹割きライタイハン


韓国軍_ベトナム戦争

子供も妊婦も容赦なく…
(写真/'忘れたい戦争'. 韓国軍に殺されたベトナム人の数は、公式統計だけでも 4万1450名だ.)
“軍人たちがまず僧侶に向かって銃を射ちました. 続いて、助けてくれと逃げる女性や菩薩様にも銃を射ちました. そして、屍体を皆燃やしました.”ユエンハンの証言だ. 当時やっと15歳になったばかりの彼は恐ろしさで真っ青になり、叫び声もあげられずに息を潜めていたと告白する. リンソン寺には、五人の僧侶が住んでいた. その時、プフ僧侶は住持僧より先に村におりて行き、喪家で読経を行っていた. 証言の大部分はユエンハンを通じてなされ, その寺で唯一の生存者のプフ僧侶は口数が少ない. 当時の話をしながらも、人々はその時の虐殺の主人公の後裔に配慮してくれた. 冷たいお茶を持ってきて, 果物の皮をむいて薦めてくれ, パパイヤを食べて汚れた口をすすぎなさいと、水まで汲んできてくれた時には、涙が溢れ出た.
プフ僧侶が村に帰ってきた時、寺は既に修羅場と化していた. プフ僧侶は火にくべられていた五人の僧侶の死体を近隣の小屋へと移した. 死体奪取に対する不安からあった. このことが伝えられると, パンラン地域全域の学校が休学を決議して, 学生達と仏教徒たちが一斉に蜂起した. “ベトナム政府は良民虐殺を即刻中断しなさい!” “人殺しはベトナムを出て行け”等等、凄まじい叫び声がパンランを巻きこんで, 僧侶たちの死体は12日を過ぎてやっと火葬できた.
“火葬をしても、僧たちを安息させられなかった. 僧たちを祭る寺が消えたからですよ. 僧たちの骨を壷に納めていたのですが、やっと昨年、この寺に安置してあげましたよ.”プフ僧侶がやや低めな声で話を続けた. 韓国軍人たちの銃器乱射事件で廃虚になった寺は、その後また再び爆撃を受けて跡形もなく消えた. そして、昨年、仏教徒の在米ベトナム同胞の援助でまた寺が建てられた. プフ僧侶は30年ぶりに住持僧としてこの寺に帰ってくることができた. 寺の前に当時死んだ僧侶たちの遺骨が納められた三重塔がある. 私たち一行はその前に頭を下げて、僧侶たちの冥福を祈った.
どちらかというと、私達がリンソン寺で聞かなければならなかった話は、今から会う、数多くの証言の中でも最も安らかな話になるかもしれない. 大雄宝殿の席から見下ろすと, 空と海と野原がひと目で見渡せた. どこに目を向けても、限りなく平和なだけの, 限りなく懐かしいだけの風景, しかしその中には、まだどれくらい多くの話が隠されているのだろうか?. ‘私と私たち’一行は、韓国軍の軍事作戦が最も熾烈に展開された中部地方にまた再び旅立ち, 筆者はリンソン寺を振り返りながら、振り払えない重い歩みでホーチミンに帰ってきた.
"女性たちを強姦した後、殺害"
韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる. 前線もなく、敵が誰なのかもわからないベトナム戦でベトコンの根拠地を捜索, 破壊するという作戦上の名分が老若男女を区別しない虐殺行為を正当化させた. 筆者が持っている記録は、その内容が非常におぞましく、詳細に明らかにするもので、負担がなくはなかったが, その一部をここに紹介する.
1965年 12月22日, 韓国軍作戦兵力 2個大隊がビンディンソン、クィニョン市に500余発もの大砲を撃ち込んだ後、“きれいに殺して, きれいに燃やして, きれいに破壊する”というスローガンの下、 捜索掃討作戦を繰広げた. 彼らはこの村で12歳以下の22人の子供, 22人の女性, 3名の妊産婦, 70歳以上 6名の老人を含む, 50余名を超える良民を虐殺した.
"… などは、子供を出産して二日目に銃で射たれて亡くなりました. 彼女の子供は軍靴で踏み潰され、まだ血が流れていたお母さんの胸の上に投げ捨ててありました. 妊娠8ケ月に達していた友人は銃弾が貫通して亡くなり, 子宮が外に出ていました. 韓国兵は一歳になる子供を背負っていた娘を射ち殺して, 子供の頭を切り取って地面に放り投げ, あとはいろいろな形に切り出してくぼみに捨てました.
彼らはまた、二歳の子供の首を折って殺し, ある子供のからだを持ち上げて、樹に投げつけて殺した後、焚き火に乗せました. そして、12歳の私は脚を射たれて倒れ、くぼみに捨てられたのです…"
パンランで別れて二日ぶりにクィニョン市を調査中の‘私と私たち’一行から電話がきた. “見つけました! 当時調べた、現人民委員会 主席の話です.” 1966年 3月19日と20日の二日間にわたった‘ベトナム中部各地の戦争犯罪調査会議’で韓国軍の罪悪性を毎々に明らかにした話だ. “手にしている、この資料がますます 恐ろしくなりますね. ひょっとすると、わたしたちはこの資料をもっと補充しなければならないかもしれません. ビンディンソンを中心にこの資料に紹介された4地域だけでなく、韓国軍の虐殺現場が他にももっとあるというのです.” 当時の報告によれば、66年 1月23日から 2月26日までの約一ケ月間、猛虎隊 3個小隊, 2個保安大隊, 3個民間自衛隊により、この地域だけで、計1200名の住民が虐殺されて, そのなかにはひとり残らず抹殺された家族が8世帯にもなった. また、1535軒の家屋と850万tに達する食料が焼き払われ, 649頭に達する水牛が銃弾によって死んだり焼き殺された.
このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して, 韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した. 生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は, 無差別機関銃乱射, 大量殺戮, 妊産婦, 女性に対する強姦殺害, 家屋への放火などだ. 生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる.
-住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する.
-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす.
-子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む.
-女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す.
-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる.
韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた. 老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった. 恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ.
ハンギョレ21 1999年 05月 06日 第256号より引用


・・・

最後に
「『益田事件』に対する益田市の見解」の2~3ページのコピーです。人権センターは在日韓国人の問題提起を受けて、益田市人権擁護推進委員会を設置し開設したと書いてありますが、ベトナム戦争に参戦した韓国軍に虐殺されたベトナム民間人、強姦され虐殺されたベトナム人の人権はどうなのでしょうか?

【2ページ】
1.●●●氏の問題提起
1996年(平成8年)11月29日
益田市長様
益田市教育長様
益田町史・益田市史・益田市誌に関する要望書
益田事件に関する上記三史誌のいずれも、事実関係での誤りや差別と偏見に満ちた記述が多く全面的な見直しを求める。
一、三史誌いずれのタイトルも差別と誤解を招く表現であり訂正すること。
一、史誌としての客観性、公正さにかけ在日朝鮮人への一方的偏見を助長する内容であり容認できない。
特に益田市発行の益田市誌においては、事件の発端となった発砲を伴う令状なしの違法捜査について全く触れてないばかりか、事件そのものを改竄したため、日時、人数などで間違いも多く、全く信用出来ない。
重大な問題であるので、すみやかに是正するとともに、なぜこのような粗放な記述になったのか究明して頂きたい。
さらに、同誌では放火説など全く根拠のないデマを敢えて記載し誤った朝鮮人観をうえつける結果となり、この項は削除すること。
一、鮮人『差別語』の訂正を求める。
益田市史においては、『鮮人の暴動』とタイトルのみの記述であるが、益田町史下巻では十四行の記述中『鮮人共』をはじめ五ケ所にわたって使われております。
『鮮、鮮人』については、すでに差別語として廃語となっており訂正すること。
一、同事件は最近の調べでわかった、連合国総指令部『GHQ』債」の機密文書で明らかなように、在日朝鮮人を弾圧するためGHQ側が引き起こしたものであり、この旨記載すること。
以上益田事件に対する要望事項でありますが、現在一般の人達がこの三史誌に書かれた内容をみると、当時の朝鮮人は『なんてひどいことをしたんだろう』という印象を与える記述になっている。
益田事件に関する限り三史誌共、後世に残る史誌としての使命を逸脱しており、すみやかに善処すると共に事実を伝える内容に改め、また、そのための適切な措置を講じていただくよう重ねて要望いたします。

【3ページ】
2.問題提起からの経過と対応
(1)経過

○ 1996年(平成8年) 11月29日
益田市在住の在日韓国人●●●氏より『益田町史』・『益田市史』・『益田市誌下巻』に、事実誤認および民族差別を助長する記述があるとの問題提起がなされ、修正及び適切な処置を求める要望書が、益田市長・益田市教育長宛に提出されました。

○ 1996年(平成8年) 12月17日
問題提起を受けて、益田市人権擁護推進委員会を設置し、主管課を総務部総務課と教育委員会同和教育推進室が、問題解決に向けての実務を正式に開始しました。

○ 1997年(平成9年) 4月 1日
益田市人権センター開設にともない、主管課を総務部総務課より民生部人権センターに移管しました。

○ 1997年(平成9年) 11月21日
人権センターで調査・検討した資料につきまして、学識経験者の意見等も聞き、さらに検討を加えて「調査報告書」を作成し、益田市人権擁護推進委員会に提出しました。

○ 1997年(平成9年) 11月25日
第1回益田市人権擁護推進委員会を開催し、『益田町史』・『益田市史』・『益田市誌下巻』の差別表現及び誤認記述に関する分析、問題提起に対する市としての基本的考え方等について議論・検討を行いました。

○ 1998年(平成10年) 1月26日
第2回益田市人権擁護推進委員会を開催し、『益田町史』・『益田市史』・『益田市誌下巻』について再度、基本的認識を深めるべく協議を行いました。

○ 1998年(平成10年) 5月18日
第3回益田市人権擁護推進委員会を開催し、問題解決の具体的方向性について議論・検討を行いました。
に、事実誤認および民族差別を助長する記述があるとの問題提起がなされ、修正及び適切な処置を求める要望書が、益田市長・益田市教育長宛に提出されました。

○ 1996年(平成8年) 12月17日
問題提起を受けて、益田市人権擁護推進委員会を設置し、主管課を総務部総務課と教育委員会同和教育推進室が、問題解決に向けての実務を正式に開始しました。

○ 1997年(平成9年) 4月 1日
益田市人権センター開設にともない、主管課を総務部総務課より民生部人権センターに移管しました。

○ 1997年(平成9年) 11月21日
人権センターで調査・検討した資料につきまして、学識経験者の意見等も聞き、さらに検討を加えて「調査報告書」を作成し、益田市人権擁護推進委員会に提出しました。

○ 1997年(平成9年) 11月25日
第1回益田市人権擁護推進委員会を開催し、『益田町史』・『益田市史』・『益田市誌下巻』の差別表現及び誤認記述に関する分析、問題提起に対する市としての基本的考え方等について議論・検討を行いました。

○ 1998年(平成10年) 1月26日
第2回益田市人権擁護推進委員会を開催し、『益田町史』・『益田市史』・『益田市誌下巻』について再度、基本的認識を深めるべく協議を行いました。

○ 1998年(平成10年) 5月18日
第3回益田市人権擁護推進委員会を開催し、問題解決の具体的方向性について議論・検討を行いました。


・・・・・・・・・・
続きます
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