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『太平記』生死を賭けた覚悟の文を読む

『太平記』生死を賭けた覚悟の文を読む
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動画の中で、侍階級、『太平記』の話が出てきます。
武士の命を賭ける覚悟の文、『死んで名を残す』覚悟の文を書き出します。

・・・・・・・・・・
●『太平記』をテーマ別に読む
検索キーワード:「~敵~切~」

つゞけや者共(ものども)。」と云侭(いふまま)に、
三尺四寸の太刀(たち)を抜(ぬい)て、
鎧(よろひ)の射向(いむけ)の袖をさしかざし、
のうず巻(まい)て扣(ひか)へたる真中(まんなか)へ懸入(かけいり)、
三人(さんにん)(きり)ふせ、
波打際(なみうちぎは)に扣(ひか)へて続(つづ)く御方(みかた)をぞ待(まち)たりける。
太平記巻第二


ほしからば、すは取らせん。」と云侭(いふまま)に、
持(もち)たる海東が首(くび)を(てき)の中(なか)へがはと投懸(なげかけ)、
坂本様(さかもとやう)の拝(をが)み(きり)、
八方を払(はらう)て火を散(ちら)す。
太平記巻第二


東国の勢(せい)是(これ)を見て、
(てき)か御方(みかた)かとためらひ怪(あやし)む処に、三百(さんびやく)余騎(よき)の勢共(せいども)、
両方(りやうばう)より時(とき)を咄(どつ)と作(つくつ)て、
雲霞(うんか)の如くに靉(たなび)ひたる三十万騎(さんじふまんぎ)が中(なか)へ、
魚鱗懸(ぎよりんがかり)に懸入(かけいり)、
東西南北へ破(はつ)て通り、
四方(しはう)八面(はちめん)を(きつ)て廻(まは)るに、寄手(よせて)の大勢(おほぜい)あきれて陣を成(なし)かねたり。
太平記巻第三


広みへを帯(おび)き出(いだ)し、
勢(せい)の分際(ぶんざい)を見計(みはから)ふて、
懸合々々(かけあはせかけあはせ)勝負を決せよ。」と、
下知(げぢ)しければ、五千(ごせん)余騎(よき)の兵共(つはものども)、
に後(うし)ろを被ぬ先にと、
渡部(わたなべ)の橋を指(さし)て引退(ひきしりぞ)く。
太平記巻第六



一の木戸を堅(かた)めたる兵(つはもの)五十(ごじふ)余人(よにん)、
其志(そのこころざし)孝行にして、相向(あひむか)ふ処やさしく哀(あはれ)なるを感じて、
則(すなはち)木戸を開き、
逆茂木(さかもぎ)を引(ひき)のけしかば、
資忠(すけただ)馬に打乗り、
城中へ懸入(かけいつ)て、
五十(ごじふ)余人(よにん)のと火を散(ちらし)てぞ合(きりあひ)ける。
太平記巻第六


吉野の大衆(だいしゆ)前後(ぜんご)の(てき)を防ぎ兼(かね)て、
或(あるひ)は自(みづから)腹を掻(かききつ)て、
猛火(みやうくわ)の中へ走入(はしりいつ)て死(しす)るも有(あり)、
或(あるひ)は向ふに引組(ひつくん)で、
指(さし)ちがへて共に死(しす)るもあり。
太平記巻第七



竜頭(たつがしら)の冑(かぶと)の緒(を)をしめ、
白檀磨(びやくだんみがき)の臑当(すねあて)に、
三尺五寸の小長刀(こなぎなた)を脇に挟(さしはさ)み、
劣らぬ兵二十(にじふ)余人(よにん)前後左右(ぜんごさいう)に立(たて)、
の靉(むらがつ)て引(ひか)へたる中へ走り懸(かか)り、
東西を掃(はら)ひ、南北へ追廻(おひまは)し、
黒煙(くろけぶり)を立(たて)て(きつ)て廻(まは)らせ給ふに、寄手(よせて)大勢(おほぜい)也(なり)。
太平記巻第七



逆臣(ぎやくしん)の為に亡(ほろぼ)され、
恨(うらみ)を泉下(せんか)に報(はう)ぜん為に、
只今自害する有様見置(みおい)て、
汝等が武運忽(たちまち)に尽(つき)て、
腹をきらんずる時の手本(てほん)にせよ。」と云侭(いふまま)に、
鎧を脱(ぬい)で櫓(やぐら)より下へ投落(なげおと)し、
錦の鎧直垂(よろひひたたれ)の袴許(はかまばかり)に、
練貫(ねりぬき)の二(ふたつ)小袖を押膚脱(おしはだぬい)で、
白く清げなる膚(はだ)に刀をつき立て、
左の脇より右のそば腹まで一文字に掻(かききつ)て、
腸(はらわた)掴(つかん)で櫓(やぐら)の板になげつけ、
太刀(たち)を口にくわへて、
うつ伏(ぶし)に成(なつ)てぞ臥(ふし)たりける。
太平記巻第七


落行(おちゆく)道の軍(いくさ)、
事(こと)既(すで)に急にして、
打死(うちじに)せずば、
宮落得(おちえ)させ給はじと覚(おぼえ)ければ、
義隆(よしたか)只一人蹈留(ふみとどま)りて、
追(おつ)てかゝるの馬の諸膝(もろひざ)薙(ない)では(きり)すへ、
平頚(ひらくび)(きつ)ては刎落(はねおと)させ、
九折(つづらをり)なる細道(ほそみち)に、
五百(ごひやく)余騎(よき)のを相受(あひうけ)て、
半時許(はんじばかり)ぞ支(ささへ)たる。
太平記巻第七


死ぬるまでも猶の手にかゝらじとや思(おもひ)けん、
小竹(こたけ)の一村(ひとむら)有(あり)ける中へ走入(はしりいつ)て、
腹掻(かききつ)て死にけり。
太平記巻第七


一所(いつしよ)に集(あつま)りたる三百(さんびやく)余人(よにん)、
矢庭(やには)に被討殺、半死半生の者五百(ごひやく)余人(よにん)に及(およべ)り。
太平記巻第七


同(おなじき)三月四日関東(くわんとう)より飛脚(ひきやく)到来して、
「軍(いくさ)を止(やめ)て徒(いたづら)に日を送る事不可然。」と被下知ければ、
宗(むね)との大将達評定(ひやうぢやう)有(あつ)て、
御方(みかた)の向ひ陣との城との際(あひだ)に、
高く立(きりたつ)たる堀に橋を渡して、
城へ打(うつ)て入(いら)んとぞ巧(たく)まれける。
太平記巻第七


大衆是(これ)に射立(いたて)られて、
平場(ひらば)の合戦叶はじとや思(おもひ)けん、
又法勝寺(ほつしようじ)の中へ引篭(ひきこも)らんとしける処を、
丹波(たんばの)国(くに)の住人(ぢゆうにん)佐治(さちの)孫五郎と云(いひ)ける兵(つはもの)、
西門の前に馬を横たへ、
其比(そのころ)会(かつ)てなかりし五尺三寸の太刀を以て、
(てき)三人(さんにん)不懸筒(どうぎつ)て、
太刀の少(すこし)仰(のつ)たるを門(もん)の扉(とびら)に当(あて)て推直(おしなほ)し、
猶もを相待(あひまつ)て、
西頭(にしがしら)に馬をぞ扣(ひかへ)たる。
太平記巻第八


打物達者(うちものたつしや)なれば、
近付(ちかづく)(きつ)て落す。
太平記巻第九


長崎二郎高重(たかしげ)、
久米河(くめがは)の合戦に、
組(くん)で討(うつ)たりしの首(くび)二(ふたつ)、
(きつ)て落したりしの首十三、
中間(ちゆうげん)・下部(しもべ)に取持(とりもた)せて、
鎧に立(たつ)処の箭(や)をも未(いまだ)抜(ぬかず)、
疵(きず)のろより流るゝ血に、
白糸(しろいと)の鎧忽(たちまち)に火威(ひをどし)に染成(そめなし)て、
閑々(しづしづ)と鎌倉殿(かまくらどの)の御屋形(やかた)へ参り中門(ちゆうもん)に畏(かしこま)りたりければ、
祖父(おほぢ)の入道世にも嬉しげに打見て出迎(いでむかひ)、
自(みづから)疵(きず)を吸(すひ)血を含(ふくん)で、
泪(なみだ)を流(ながし)て申(まうし)けるは、
「古き諺(ことわざ)に「見子不如父」いへども、
我(われ)先(まづ)汝(なんぢ)を以て、
上(うへ)の御用(ごよう)に難立者也(なり)。
太平記巻第十



猛火(みやうくわ)の下より源氏の兵(つはもの)乱入(みだれいつ)て、
度方(とはう)を失へる共(てきども)を、
此彼(ここかしこ)に射伏臥(いふせきりふせ)、
或(あるひは)引組差違(ひつくんでさしちがへ)、
或(あるひは)生捕分捕(いけどりぶんどり)様々(さまざま)也(なり)。
太平記巻第十

・・・・・・・・・・
検索キーワード:「~腹~切~」

土岐十郎久(ひさし)く戦(たたかう)ては、
中々(なかなか)生捕(いけどら)れんとや思(おもひ)けん、
本(もと)の寝所(ねどころ)へ走帰(はしりかへつ)て、
(はら)十文字(もんじ)にかき(きつ)て、
北枕(きたまくら)にこそ臥(ふし)たりけれ。
太平記巻第一


角(かく)て四五日経(へ)ける程に、
阿新昼(ひる)は病(やむ)由(よし)にて終日(ひねもす)に臥(ふ)し、
夜(よる)は忍(しのび)やかにぬけ出(いで)て、
本間が寝処(ねところ)なんど細々(こまごま)に伺(うかがう)て、
隙(ひま)あらば彼(かの)入道父子(ふし)が間(あひだ)に一人さし殺して、
らんずる物をと思定(おもひさだめ)てぞねらいける。
太平記巻第二


十善(じふぜん)の君に被憑進(まゐら)せて、
武家(ぶけ)を敵(てき)に受(うく)る程の者共(ものども)が、
敵大勢(おほぜい)なればとて、
戦(たたか)はで逃(にぐ)る様(やう)やある、
いつの為に可惜命(いのち)ぞ。」とて、
向ふ敵に走懸(はしりかかり)々々(はしりかかり)、
大(おほ)はだぬぎに成(なつ)て戦ひけるが、
矢種(やだね)を射尽(つく)し、
太刀(たち)を打折(うちをり)ければ、
父子(ふし)二人(ににん)並(ならびに)郎等十三人(じふさんにん)、
各(おのおの)かき(きつ)て同枕(おなじまくら)に伏(ふし)て死(しに)にけり。
太平記巻第三



されば昔衛(ゑい)の懿公(いこう)が北狄(ほくてき)の為に被殺て有(あり)しを見て、
其(その)臣に弘演(こうえん)と云(いひ)し者、
是(これ)を見るに不忍、
自(みづから)を掻(かききつ)て、
懿公(いこう)が肝を己(おのれ)が胸の中(うち)に収め、
先君(せんくん)の恩を死後(しご)に報(はうじ)て失(うせ)たりき。
太平記巻第四


さらばよし自害せんと思食(おぼしめし)て、
既(すで)に推膚脱(おしはだぬが)せ給(たまひ)たりけるが、
事叶(かな)はざらん期(ご)に臨(のぞん)で、
らん事は最(いと)可安。
太平記巻第五



吉野の大衆(だいしゆ)前後(ぜんご)の敵(てき)を防ぎ兼(かね)て、
或(あるひ)は自(みづから)を掻(かききつ)て、
猛火(みやうくわ)の中へ走入(はしりいつ)て死(しす)るも有(あり)、
或(あるひ)は向ふ敵に引組(ひつくん)で、
指(さし)ちがへて共に死(しす)るもあり。
太平記巻第七


村上(むらかみ)彦四郎(ひこしらう)義光(よしてる)が子息兵衛蔵人(ひやうゑくらうど)義隆(よしたか)は、
父が自害しつる時、
共に(きら)んと、
二の木戸の櫓(やぐら)の下まで馳来(はせきた)りたりけるを、
父大(おほき)に諌(いさめ)て、
「父子(ふし)の義(ぎ)はさる事なれ共(ども)、
且(しばら)く生(いき)て宮の御先途(ごせんど)を見はて進(まゐら)せよ。」と、
庭訓(ていきん)を残しければ、
力なく且(しばら)くの命(いのち)を延(のべ)て、
宮の御供(おんとも)にぞ候(さふらひ)ける。
太平記巻第七


いざや冥途(めいど)まで同道(どうだう)せん。」と契(ちぎり)て、
鎧(よろひ)脱捨(ぬぎすて)押裸脱(おしはだぬぎ)、
十文字(じふもんじ)に掻(かききつ)て、
同じ枕にこそ伏(ふし)たりけれ。
太平記巻第八


只同じ枕に自害(じがい)して、
後世までも主従(しゆうじゆう)の義を重(おもん)ずるより外(ほか)の事はあらじと思(おもひ)ければ、
糟谷(かすや)泣々(なくなく)主(しゆう)の頚を取(とつ)て錦の直垂(ひたたれ)の袖に裹(つつ)み、
道の傍(かたはら)の田の中に深く隠して則(すなはち)(かききつ)て主の死骸(しがい)の上に重(かさなつ)て、
抱着(いだきつい)てぞ伏(ふし)たりける。
太平記巻第九



我(われ)何(なん)の面目か有(あつ)て、
堅めたる陣を引(ひい)て而(しか)も嫌疑(けんぎ)の中(うち)に且(しばら)く命を可惜。」とて、
闘(たたかひ)未(いまだ)半(なかばなら)ざる最中(さいちゆう)に、
帷幕(ゐばく)の中(うち)に物具(もののぐ)脱捨(ぬぎすて)て(はら)十文字(じふもんじ)に給(きりたまひ)て北枕(きたまくら)にぞ臥(ふし)給ふ。
太平記巻第十

・・・・・・・・・・

本日は「~敵~切~」「~腹~切~」をキーワードにして書き出しました。
『太平記』をもっと読んで、いろいろなテーマで書き出してみようと思います。



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