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北條時宗の頃、益田兼時と 田根兼政

北條時宗の頃、益田兼時と 田根兼政   にほんブログ村←応援クリックお願いします↑クリックで拡大します。北條時宗(1251年~1284年)ーWikipedia鎌倉時代中期の武将・政治家。鎌倉幕府第8代執権。鎌倉幕府執権職を世襲する北条氏の嫡流得宗家に生まれ、世界帝国であったモンゴル帝国(大元朝)の日本に対する圧力が高まるなかで執権に就任。内政にあっては得宗権力の強化を図る一方、モンゴル帝国(大元朝)の2度にわたる...

広く浅く、時代感覚をつける。地質時代~平成まで

広く浅く、時代感覚をつける。地質時代~平成まで   にほんブログ村←応援クリックお願いします↑クリックで拡大します。時代感覚を磨きます。市内の名所、史跡、事柄を時代順に並べました。新生代、古第三紀漸新世、今から3390万年前唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)旧石器時代(~紀元前1万4千年前)新槙原遺跡(しんまきはらいせき)2万年前の遺跡(匹見に旧石器人が住んでいた)縄文時代(紀元前1万4千年頃~紀元前...

パピノ日本史辞典に慣れる

パピノ日本史辞典に慣れる   にほんブログ村←応援クリックお願いします↑クリックで拡大します。テーマ、「歴史の英語表現になれる。パピノ日本史辞典を郷土の歴史に活用」。パピノ日本史辞典「HISTORICAL AND GEOGRAPHICAL DICTIONARY OF JAPAN」見出しは日本語、説明は英語で書いてあります。人物の名前が一番たくさん載っていますが、郷土の英雄の名前となると殆ど載っていなので同時代の項目を引いて活用を目指すことにし...

蒙古襲来と七尾城の二重濠(想像図)

蒙古襲来と七尾城の二重濠(想像図)   にほんブログ村←応援クリックお願いします↑クリックで拡大します。鎌倉武士のシルエット。田根兼政は蒙古襲来(1274、1281年)のころの武将です。兼政の河川開鑿事業と七尾城の二重濠(想像図)の3Dです。 田根兼政の顕彰碑は東光寺の背後にあります。七尾城の濠は本来、自然の益田川をそのまま利用したものである。しかし弘安年間、益田兼時の支族である 田根兼政は、益田兼時...

支那からの輸入を減らす事_有効な砂漠化防止対策

支那からの輸入を減らす事_有効な砂漠化防止対策   にほんブログ村←応援クリックお願いします↑クリックで拡大します。郷土の歴史を調べると農業用水の事が書いてある。古代から農業用水を確保するために大小の土木工事を積み重ねてきた。川が小さく水が足りないところでは溜め池を造り、旱魃にも耐える体制を整えた。支那は水不足で砂漠化が進行しているが、砂漠化の原因は何か。対策は何か。について、また、支那の伝統的な農...

蒙古襲来の防備_川をせき止め濠を築く大土木工事

蒙古襲来の防備_川をせき止め濠を築く大土木工事   にほんブログ村←応援クリックお願いします↑クリックで拡大します。現在の益田川です。現在の川の経路は弘安の役以前とは異なっています。蒙古襲来・弘安の役以前は、七尾城のある七尾山の麓から妙義寺の前を通って流れていましたが、 蒙古襲来に備えるため、益田川の流れを変えて七尾城の濠にしました。【益田市誌上巻より】元の川は堰き止めて濠にする。新しい川を掘って新田...

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